2005年 08月 29日
旧阪急梅田駅コンコース 解体へ |
大阪市で生まれ育った私にとって、”梅田”とか”阪急百貨店”は高級の代名詞だった。デパートといえば庶民派の阿倍野近鉄であって、阪急百貨店は敷居が高く、それだけ憧れの場所だった。
その阪急百貨店の1F部分にある歩道が、百貨店の建替えに伴い解体されることになった。実はここは阪急梅田駅のコンコースだったところ。大阪の歴史を彩ってきた鉄道駅の、大阪の代名詞とも言える歴史的建造物だ。大人になった今でも、どこまでも高い吹き抜け空間にきれいなステンドグラス、そしてシャンデリアに夢見る思いを抱いてしまう場所である。
阪急百貨店は昭和4年竣工のこの建物を壊し、地下2階、地上41階のビル(百貨店+オフィス)を建てるというのである。これだけ豊かな社会になった日本。新しさ、便利さ、量的拡大を目指したバブル時代で大きな痛手を受け、未だにその後遺症を抱えているというのに、そんな大きなビルが必要なのか。阪急側の発表には、”動線のバリアフリー化””魅力ある店舗””大規模なオフィス空間”と虚しい言葉が並ぶ。
バブル崩壊を体験した私は、新しいものより古いものにより愛着を感じるし、大きなものより味のあるものにより魅力を感じる。世の中にそういう人は決して少なくないと思う。
大阪よ、目を覚ませ。街の中に歴史が感じられる、誇りある都市を目指して欲しい。
その阪急百貨店の1F部分にある歩道が、百貨店の建替えに伴い解体されることになった。実はここは阪急梅田駅のコンコースだったところ。大阪の歴史を彩ってきた鉄道駅の、大阪の代名詞とも言える歴史的建造物だ。大人になった今でも、どこまでも高い吹き抜け空間にきれいなステンドグラス、そしてシャンデリアに夢見る思いを抱いてしまう場所である。
阪急百貨店は昭和4年竣工のこの建物を壊し、地下2階、地上41階のビル(百貨店+オフィス)を建てるというのである。これだけ豊かな社会になった日本。新しさ、便利さ、量的拡大を目指したバブル時代で大きな痛手を受け、未だにその後遺症を抱えているというのに、そんな大きなビルが必要なのか。阪急側の発表には、”動線のバリアフリー化””魅力ある店舗””大規模なオフィス空間”と虚しい言葉が並ぶ。
バブル崩壊を体験した私は、新しいものより古いものにより愛着を感じるし、大きなものより味のあるものにより魅力を感じる。世の中にそういう人は決して少なくないと思う。
大阪よ、目を覚ませ。街の中に歴史が感じられる、誇りある都市を目指して欲しい。
by lovetaiwans
| 2005-08-29 22:00
| 大阪あれこれ